ZARD シングル売上ランキング

 今回はJ-POP全盛期の90年代邦楽の女王と言っても過言ではないZARDのシングル売上ランキングをお送りする。

シングル売上ランキング

 まずは、ZARDのシングル売上ランキングを表にして示す。
(※画面幅が狭い場合、横にスクロールできます。)
 以上が計1772.7万枚の内訳である。(オフィシャルサイトによる公称値は1773.3万枚なので、四捨五入の影響等により若干のズレがあることには留意いただきたい。)
 表のままだと分かりにくいので、以下ではグラフ化して可視化してみる。


リリース順の売上推移

 まずは、リリース順の売上をグラフ化してみる。
 グラフを見ると、年間トータルセールスで1位に輝いた1993年にリリースした6thシングル「負けないで」で爆発的に売上が増加したことが分かる。さらに、売上1位, 2位, 5位, 6位, 7位と、上位10曲の半分(6th「負けないで」~10th「きっと忘れない」)が1993年リリースとなっていることからも、1993年はZARDが売れに売れまくった年であることが分かる。

なぜZARDとWANDSが1993年のビーイングブームの象徴と言えるのか?についてはこちら↓ 13. ビーイングブーム徹底解析その12 ~なぜZARDとWANDSがビーイングブームの象徴と言えるのか?~


 1993年の6th「負けないで」で最高売上を記録した後は、徐々に売上を下げていった。前後のシングルよりも売上が高い17th「マイ フレンド」や32nd「Get U're Dream」のようなシングルがたまに現れるのは興味深い。
 また、1993年~1997年(6th~20th)にかけては、1度もハーフミリオンの50万枚を下回ることなく、70万枚くらいの高値で安定してヒットシングルを連発していた。これはビーイングの優秀な作家陣が安定して良質な楽曲を世に送り出し続けた証左と言えよう。

ZARDのヒット曲を支えた作家陣についてはこちら↓ 2. ビーイング系の特徴その2 強力な作家陣による分業体制


 続いて最高売上を記録した6thシングル「負けないで」以降の売上のプロットに対して指数関数を近似してみた。y=155.24*exp(-0.097*x)という式になるわけだが、155.24という数字が全盛期の人気度合いを表し、-0.097という数字が人気の継続度合いを表すと解釈できる。このあたりのアーティスト同士の比較もおもしろそうなので今後やっていきたい。
 17th「マイ フレンド」(1996年)~20th「君に逢いたくなったら…」(1997年)と22nd「永遠」(1997年)は、ZARDのアーティストパワー以上に売れていることが分かる。これらの曲には人気アニメやドラマ、CMの大型タイアップがついていたためである。


初動売上・最高位の推移

 次に初動売上と週間チャートの最高順位の推移をグラフ化してみよう。
 初動売上(青線)も累計売上と同様に6th「負けないで」で急激に上昇した。その後は、8th「揺れる想い」から、20th「君に逢いたくなったら…」までは常に初動売上20万枚越え、30万枚前後をキープし続けた。この根強い固定ファンの存在がZARDの売上を支えたことは言うまでもない。
 ピークは最高売上を記録した6th「負けないで」ではなく、17th「マイ フレンド」(36.3万枚)で記録している。1993年に大ブレイクして固定ファンをがっしりつかんだ後は、1996年にかけて徐々に固定ファンを増やしていったことが分かる。ただ、1997年の21st「風が通り抜ける街へ」で一気に初動20万枚割れ、最高位も3位に落としてしまった。

 初動型に移行した7th「君がいない」以降は初動売上(青線)と最高位(赤線)がリンクしている。逆に言えば、6th「負けないで」以前は最高位を2週目以降に記録している。6th「負けないで」(1993年)以降、20th「君に逢いたくなったら…」までは、最高位1位か2位しか獲得しておらず、その黄金期ぶりが見て取れる。黄金期のシングルを収録し、300万枚を売り上げたベストアルバム「ZARD BEST The Single Collection~軌跡~」の売り文句が「週間チャート初登場1位, 2位のみのシングルを収録」だったのもうなずける。 残念ながら21st「風が通り抜ける街へ」で最高位3位に落ちたものの、もう少し長い目で見れば、29th「世界はきっと未来の中」(1999年)まで3位以上をキープしており、6年にわたって高いアーティストパワーを維持していたことが分かる。

 さらに特筆すべきは、坂井泉水の死去(2005/05/27)時点では「オ〇コン週間チャートTOP10通算ランクイン数」において、40作で女性ボーカル首位だったことである。ちなみに男性も含めると「サザンオールスターズ」が42作で首位だった。サザンにしろZARDにしろ、どのみち2000年代後半からはアイドル(主に秋元康系とジャニーズ系)によってオ〇コンチャートは握手券やサイン券の売上と化し破壊されていくので、意味のない記録になっていく。しかし、一応ギリギリオ〇コンランキングが機能していた坂井泉水の逝去時点では、”女性ボーカル首位”という大きな勲章を得たまま坂井泉水はこの世を去ったことになる。

AKB商法・ジャニーズ商法に関する記事はこちら↓ 2. アイドル批判はその矛先を間違えている


作曲家・編曲家ごとの売上

 作曲家・編曲家ごとの売上をプロットする。

 まずは作曲家別のプロット。
 総売上は織田哲郎が1000万枚近い売上(959.6万枚)で圧倒的な値を記録している。続いて、栗林誠一郎が約400万枚で2位につけている。 グラフから分かるように、50万枚/作の直線を上回るのは織田哲郎と栗林誠一郎のみである。ZARDの売上を支えた作曲家2人が質・量ともにハイレベルなことが数字で示されたと言える。
 ちなみに割合で見てみると、円グラフから明らかなように、織田哲郎がZARD全シングルの売上の過半、栗林誠一郎が約1/4を占めている。

 続いて、編曲家別の売上をグラフ化する。
 編曲家別で比べると、明石昌夫と葉山たけしのビーイングの2大アレンジャーがおよそ総売上650万枚、1作あたりも50万枚越えで同じような値を記録した。明石昌夫はブレイク前の91~92年、葉山たけしは晩年の2005~2007年の売上も含んだ上での平均なので、全盛期の平均売上は70万枚を超えると思われる。
 意外にも、池田大介は40万枚/作の直線を下回っている。また、明石昌夫・葉山たけし以外に手がけたシングルが10作を超えるアレンジャーもいなかった。
 読者の皆さんは円グラフを作るまでもなく想像がつくと思うが、編曲家別で円グラフを作成してみた。やはり、明石昌夫と葉山たけしが37.5%前後ずつで、2人で合わせて75%を占めている。俗に言うZARDサウンドというのは”明石昌夫サウンド”・”葉山たけしサウンド”と言っても差支えないだろう。

ZARDサウンドに関する記事はこちら↓ 14. ビーイング系の音楽性とはいったい何なのか?


タイアップ別の売上

 最後に、タイアップ別の売上について分析しよう。(※その他にはノンタイアップも含む。)
 上の円グラフが比率とタイアップごとの売上枚数を示しており、下の棒グラフがその内訳を示している。
 タイアップ別の売上枚数は、やはり売れたのがテレビドラマ全盛の90年代だけあってドラマタイアップが半分近く(45.2%)を占める801.2万枚となった。さらに、自身の代表作にポカリスエットやポケベルのCMソングが名を連ねているだけあって、32.2%の571万枚でCMが続く。アニメは以外にも235.3万枚の13.3%しかなかった。

 当時の購買層も、小中学生ではなく、ドラマを見る20代のOL層が中心だったのではないだろうか。それを示すために、1作あたりの売上枚数をグラフ化してみる。
 タイアップごとの1作あたりの売上枚数も計算してみると、ドラマが最も高い53.4万枚を記録しており、やはり学生層に訴求力の高いアニメよりも購買力の高いOLなどに訴求力のあるドラマタイアップが売上に結びついていたと言えるだろう。




 というわけで、筆者の中ではかなり温めてきた企画であるZARDシングル売上ランキングをお届けした。今後は、ZARD以外のあらゆるビーイング系アーティストでもこの企画をやっていくつもりです。アーティスト数も多いので、出揃うのにはけっこう時間がかかるかもしれません(笑)。


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