ビーイング系の音楽性とはいったい何なのか?

 前回までで、ビーイング系の根幹をなすメインの作編曲家4人の特徴を述べてきた。しかし、結局のところ、ビーイング系の音楽性とはどういったものなのかについて体系的にまとめてみたい。

ビーイングのロゴの画像


ポップとポップスとロック(世界全体)

 まずはじめに、それぞれの言葉の定義・意味を整理したい。  以上が一般的な定義だが、分かりにくいので、以下で筆者なりに分かりやすく解釈してみる。
 ポップ(ポピュラー音楽)は文脈によって意味が変わるが、基本的に狭義の意味で使われることが多いように感じる。狭義のポップは要は歌唱がメインの「歌もの」である。したがって、インストゥルメンタルのポップ(狭義)なんていうものは無い。
 一方で、「ポップス」は1950~60sの英米の音楽のジャンルの1つであり、原則的に邦楽に対しては使えない。また、この時代のメロディアスな洋楽というニュアンスを含んでいることもある。
 「ロック」はエレキギターを中心とした音楽のことで、エレキギターを用いない音楽をロックと呼称することはできない。あくまでも、ボーカルとギター、あるいはギターが中心で、ギターの比重が高い。


歌謡曲とJ-POP(日本)

 また、J-POPという概念について説明しておこう。和訳すると、日本のポップなので、意味はそのままで という意味となる。
 歌謡曲の意味もまた2つある。  よって、ポップや歌謡曲、J-POPといった言葉には、ジャンルを横断したくくりとしての意味(広義)と音楽の一つのジャンル(に近いもの)としての意味(狭義)がある。
 したがって、広義のJ-POPは平成歌謡と言い換えることができる一方で、狭義で捉えるならば、J-POPと歌謡曲は別のものであり、J-POPは歌謡曲の発展形ということになる。


ポップとロック

 では、ロックの分類の1つであるポップロックとは何なのだろうか?”歌もの”であるポップ(狭義)とロックが融合したジャンルである。ポップロックと言われて真っ先に思い当たるのが、Mr.Childrenである。他にも、My Little Loverだとか、back numberだとかが思い浮かぶが、これらには共通点がある。それは小林武史のプロデュースであることだ。 よって、ポップロックは何かと聞かれれば、小林武史プロデュースのバンドのような、耳障りの良いメロディーと日本の標準的なバンドのサウンドを思い浮かべれば分かりやすい。
 では、ビーイング系のロックはこういったバンドの音楽性と何が異なるのか。それを次節で解説する。


ビーイングロック

 では、本題に入ろう。ビーイング系の音楽性を一言で表すならば、 である。「超キャッチーでインパクトのあるメロディーの後ろで、ハードロックギターが鳴っている」というのが、ビーイング系の曲の多くに見られる形式で、いわば”ビーイングのお家芸”である。 あえて「平成歌謡的」と表現したのは、昭和歌謡よりも、洗練されているが、メロディーの動き方が日本的だということを表現したかったためである。 疾走感やサビのインパクトなど、明らかに昭和歌謡とは異なる空気感をもっているものの、やはり洋楽のような単調なメロディー(明石昌夫風に言えばクソなメロディー(笑))ではなく、日本らしい音程の上下の激しいメロディアスさが特徴である。このメロディアスさが日本のヒット曲を特徴づけるパラメーターとも言える。この感覚的なメロディアスという言葉の意味を明石昌夫が定量的に示してくれており、「完全4度以上の動き」のことであるとのこと。
 すなわち、ビーイング系の音楽性とは、大胆なシンセサイザーの導入とブラッシュアップされた歌謡曲とハードロックの融合なのである。
 本サイトでは、このビーイング系の音楽性を「ビーイングロック」と名付け分類する。(世界的な分類で言えば、産業ロック(Stadium Rock/Arena Rock)・AOR(Adult Oriented Rock)に含めてしまっても差し支えないが、東洋的なメロディー・コード進行を含んでいるという意味であえて区別して考える。)


各アーティストの分類

 ビーイング系アーティストはビーイングロックと定義したビーイング流のハードロックを基本としていたわけであるが、もちろんビーイング系アーティストそれぞれで”各自のカラー”があった。

 まず、筆者の感覚的な分類を簡単に図にまとめた。少し乱暴かもしれないが、縦軸がメロディー、横軸がアレンジだと思ってもらえれば分かりやすいかと思う。この図を基に以下で具体的に説明していく。

※同じアーティストでも楽曲ごとに毛色の異なる楽曲を発表している場合もあるので、だいたいの目安程度に捉えてください。


 ビーイングロックの典型あるいは本丸と言える存在が前期ZARD(91~94年)や初期B'z(90~92/96年)、前期WANDS(91~94年)、T-BOLAN、MANISH、REVなどである。
 91年のデビューから94年までのZARDは、過半数(9/13)のシングルA面を織田哲郎が作曲し、ほとんど(11/13)を明石昌夫が編曲しており、ビーイングロックの本丸と言えるような楽曲ばかりであった。 織田哲郎も「ビーイングの創業者でありプロデューサーである長戸大幸さんは、ずっと美しいメロディーと迫力あるロックサウンドとの融合に一番力を入れてきたと思うのです。そしてZARDサウンドこそ、そのひとつの帰結だったのだと感じます。」と振り返っている(連載より)。
 B'zは捉え方によるのだが、ギターをガンガンハードロックにし始めた(明石昌夫談)「BAD COMMUNICATION」(89年)から始まり、92年の「BLOWIN'」がポップなB'zの集大成だとする捉え方で言えば90~92年、”No Synthesizer”を謳った次作「FIREBALL」と同様に生音オンリーとなった「Real Thing Shakes」以降を”純ハードロック”への移行と捉えるなら90~96年が典型的なビーイングロックに該当する。 ただし、94年はかなりブルースへの回帰を見せており、ハードロック色やブルースロック色が強いため、ビーイングロックとは一線を画す存在と言った方が適切だろう。
 WANDSはものによってはダンサブルで、前期B'zの雰囲気がある。しかし、織田哲郎作曲の楽曲なんかは典型的なビーイングロックと言える。

 ビーイングロックの中でもダンサブルなのが、ユーロビートが中心の最初期B'z(88~90年)(ただし、ダンサブルなB'zの集大成「LADY NAVIGATION」は91年)や、大島康祐作曲の楽曲の多い初期WANDS(91年~93年)、ハードロックを中心にラテンや黒人音楽のテイストを取り入れた大黒摩季、小室哲哉風のデジタルダンスミュージックを取り入れたPAMELAHなどである。このあたりのアーティストはハードロックとダンスミュージックの融合を試みている。

 一方、ビーイングロックの中でもよりハードロック色が強いのが川島だりあソロ、KIX-Sなどで、ビートロックとも分類され得るのが、T-BOLANやZYYGである。”純ハードロック”に向かっていったのが中期以降のB'z(「RUN」以降、もしくは、「SURVIVE」以降)で、ビーイングロックとは一線を画し始めた。

 爽やかで一般的なバンドサウンド(=ポップロック)に近い音作りだったのが、DEENやFIELD OF VIEW、後期ZARD(96~98年)である。このあたりのアーティストの楽曲では、もちろんハードなディストーションギターが鳴っているのだが、どちらかというと抑え気味で、シンプルなバンドサウンドに近い。ポップロック色の強いビーイングロックと言える。

 また、昭和歌謡色も取り入れていたのがTUBEや栗林曲の前期ZARDで、TUBEは夏バンドだけあってラテンやレゲエとの融合も試みている。一方で典型的なビーイングロックの曲もヒット曲には多い。ZARDは栗林誠一郎が作曲した曲に昭和歌謡の雰囲気を感じれられる楽曲が多い。レゲエで言えば、織田哲郎プロデュースのBA-JIがいた。TUBEやZARDはビーイングロックの中で、歌謡色を出しているという程度だが、BA-JIはハードロックの要素はほとんどなく、ポップとレゲエの融合と評価するべきだろう。

 ビーイング系の象徴的存在でありながら、ビーイングロックを離れ、オルタナティブロック(グランジ)に走ったのが、後期WANDS(95年~)である。他にも、FEEL SO BADなんかは、純HR/HMの音楽性を志向しており、ビーイング系でありながら、ビーイングロックの範疇から外れる存在であった。

 他にも、Mi-Keがグループサウンズ(GS)をオマージュした新曲、あるいは60年代の曲を当時の現代風にアレンジしてリリースしていた。メロディーは昭和のGSや60年代のサーフロック(米国の西海岸で発達)で、アレンジはシンセを大胆に導入したハードロックサウンドでというコンセプト自体は、先程定義したビーイングロックに近しく、ビーイングロックの亜種とも捉えられる。また、長戸氏をはじめとするビーイングのメンバーの音楽的出自を表現したという意味で、Mi-Keは非常に意義深い。


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