アイドル批判はその矛先を間違えている

 今回は、21世紀のアイドルとその商法から来る問題について。

アイドルが批判される理由

 アイドル、とりわけ、ジャニーズと秋元康プロデュースのアイドルがよく批判の対象にされる。 その理由はいたってシンプルで、ジャニーズ商法やAKB商法、あるいは、特典商法・握手券商法などと呼ばれるCDの売り方に嫌悪感を持たれるためである。 A面は同じ曲にしながらカップリングを変えることにより、同じシングルでも4種類も5種類もタイプを設けたり、CDの購入特典として握手券(やその他のよく分からんものw)を封入したりといった商法である。 ジャニーズもAKB系列でもどちらの商法も行っており、実質的にはAKB商法もジャニーズ商法も同じと言える。
 このような商法を行うと、1人の人間が複数枚のCDを購入することで、見かけ(記録上)のCD売上枚数を大幅に増やすことができる。 AKB48の場合、実際のCD購入者数は売上枚数の1/5以下ではないか…と巷では噂されている。これの煽りを食らっているのが、特典ではなく、本当に”曲”を売っているアーティストである。 彼らの曲は2010年代の10年間を通して年間チャートのトップ10からほとんど閉め出され、チャートそのものが形骸化してしまった。


ビーイングファンにとっては許されない記録

 さらに、ビーイングファンにとって最も由々しき問題なのは、B'zのもつ、”13作の連続シングルミリオン記録”や”15作のミリオン最多記録”がAKB48に抜かれてしまったことだろう。 しかも、皮肉なことに、後者の記録を塗り替えることになったのは、ビーイングのメイン作家であった織田哲郎の曲だったのである(34thシングル「鈴懸なんちゃら」108.6万枚)。
 ビーイングファンが批判しにくくなるようにするためだったのだろうか?B'zのミリオン最多記録を塗り替える時に、わざわざ織田哲郎の曲を持ってきたのは偶然とは思いがたいし、秋元康の何かしらの意図がはたらいているに違いない… そこまで考えているとしたら、秋元康という人間がさらに恐ろしくてたまらない…


アイドルという職業のイメージと筆者

 アイドルという職業は、いわば水商売のようなものである。「顔」と「体」と「若さ」を売りとして、消費されていく。言い方は悪いが、年齢を食えば見捨てられていく。 その形は、昔は「引退」か「女優への転向」だったのが、つんく♂により、半永久的にグループが存続するシステムが構築された今では「卒業」という形へ変化した。

 昭和世代と平成世代には、アイドルに対するイメージが異なるのではないか。
 80年代はアイドル黄金時代であった。松田聖子をはじめ、山口百恵、中森明菜、中山美穂、工藤静香、小泉今日子、菊池桃子、河合奈保子などなど…枚挙にいとまがない。彼女たちが世間を賑わせた頃は、アイドルに対する評価も良かったと思われる。今も昔もアイドルの歌唱力は高くないが、生歌で歌詞が飛んでもそれもご愛嬌という感じで、今のように口パクを批判されることはなかったのではないだろうか。 また、基本的に、この時代は「アイドル」=「女性アイドル」を思い浮かべるだろう。この時代にはジャニーズがいなかったわけではないが、まだまだB級事務所であったし、そもそも「アイドル」という職業を男がするなんて恥ずかしいという価値観が大きかったのではないかと思う。 男女差別と言われるだろうが、顔や体を売りにするような仕事は普通の男のする仕事ではないという固定観念が強かったと思う。しかし、有史以来、オスには獲物を仕留める「能力」が重要視され、メスには優秀な遺伝子を残すオスを引き寄せるための「美貌」が重要視されてきたという動物としての側面がある以上、仕方のないことだと思う。
 話を戻そう。一方で、平成世代には、特典商法によるチャートの壊滅、音楽番組における口パクなど、批判的なイメージをもつものも少なくないと思う。また、信者と化した熱狂的なファンがより、そのイメージを悪化させているという部分もあるように思われる。 かくいう筆者も平成世代であり、アイドルに対するイメージは良くない。 …と言いつつも、実は日向坂46が好きだったりするわけである。「おいおい、さっきまであんなに批判していたのに、秋元康商法に加担しているのか」と言われそうだが、そうではない。
 言い訳がましい言い方をするが、もともと「オードリー」が好きで、日向坂の冠番組のMCをオードリーが務めているため、見てみたら面白くハマったというのが実態である。なので、日向坂の曲には全く興味がなく、あくまで日向坂のバラエティー番組が好きなだけなのだ。


批判されるべきはオ〇コン社!

 たった5秒?くらい握手するためにお金を払うなんて、バカバカしいと思っている秋元康からしたら何の儲けにもならないファンである筆者だが、握手券商法が悪だとは思わない。 むしろ、CD市場が縮小していく中にあって、1人あたりの客単価を上げる、すなわち、信者と化したファンからの利益を増やすことは、資本主義にあって極めて自然な帰結である。 「じゃあ、AKB・ジャニーズ商法が気に入らないからといって、アイドル本人たちを批判しても仕方がないし、事務所を批判しても仕方がないなら、誰が悪いんだよ!」と言いたくなるかもしれない。

 最も批判されるべきなのは、チャートを発表しているオ〇コン社である。 他にも各種チャートを運営・公表している会社はあるが、業界最大手として、意味のある真のCDチャートを発表する責務があるはずである。そして、チャートを形骸化させてしまった責任があるはずである。


チャートの崩壊とチャートを公表するものの責任

 週間チャートの崩壊の象徴的な1日、それは、2014/12/01である。特典なし、1種形態で、真に音楽だけで勝負したMr.Childrenの35thシングル「足音 ~Be Strong」(初動11.5万)が、多種形態及び特典付きリリースを行ったジャニーズのSexy Zone「君にHITOMEBORE」(初動:33.6万)に負けたのである。 これにより、1994年の「innocent world」より続いていた30作連続で続いていたミスチルの初登場1位記録が途切れてしまった。確かに、純粋なCDの売上枚数という観点では、トリプルスコアでジャニーズの勝利であるし、それはそれで参考までにデータとして公表すればいいと思う。
 しかし、音楽のトレンドを表すチャートとして、複数形態による水増しの記録を公表したところで何の意味があるのだろうか?本質的に意味のあるものにするためには、複数形態は同一カウントしないとか、1人の複数枚購入はカウントしないとか、もっと時代に合わせて基準を変えるべきだったのではないだろうか。 オ〇コン社は、売れているCDを知りたいはずである。すなわち、現在の人気曲を定量的に知りたいはずである。昔は、1人で1枚しか買わないという前提条件があったので、CDの売上枚数が人気曲を規定できた。しかし、その前提が崩れたなら、統計を取る側がしっかりと、その前提に合わせて、基準をCDの売上枚数から、CDの購入者数に一致するように、ルールを変更しなければならなかった。 それを怠ったばかりに、音楽チャートは形骸化し、本当に楽曲を売っているアーティストに対して冒涜的な音楽チャートが出来上がってしまったのではないだろうか。


資本主義と統計

 かなり話が変わるが、資本主義・民主主義を基調とする西側諸国と、社会主義・専制主義を基調とする東側諸国とでは、何が異なるのだろうか?その違いの1つに統計の信憑性が挙げられる。 東側諸国では、統計が改ざんされたり、隠蔽されたりすることは珍しくない。一方、西側諸国では、いくら景気が悪くても、いくら中央銀行にとって都合の悪いデータでも、基本的に統計は正しく公表される。

 AKB・ジャニーズ商法が資本主義の帰結であるならば、その売上も正しい統計に基づいて公表されるのが、資本主義・民主主義国のあるべき姿ではないだろうか。”実際に世の中に出回ったCDの数”として、特典商法を含めた売上枚数が公表されるのは、それはそれで良い。 しかし、トレンドを表すCDチャートには、そういった商法で売られたCDの売上を排除し、実質的な売上枚数を反映した本質的に意味のある音楽チャートを公表するべきである。特典商法により、水増しされた(ある意味改ざんされた)データではなく、本当に音楽を目的として買われた真のデータを公表するべきであったと思う。 なぜなら、オ〇コン社が公表しているのは、握手券チャートでもなければ、特典チャートでもない、音楽のシングルチャートなのである。その点において、日本の音楽界とオ〇コン社は大いに反省するべきである。


 「これはおかしい。こんなデータを発表したところで何の意味があるのか。」と言えるような気概のある人が1人いれば、2010年代のCDチャートも崩壊せずに済んだのではないかなぁ…と思いながら、この記事をしめくくることとする。


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