ビーイングブーム徹底解析 その4

~ビーイングブーム前夜(92年)~

 今回はビーイングブーム徹底解析の第4弾として、引き続きビーイングブーム前夜について取り上げる。前回の1991年に続いて、今回は1992年。



 いつからがブームだったのかはっきりとは断定することは難しいが、大黒摩季の「DA・KA・RA」、T-BOLANの「じれったい愛」から、中山美穂&WANDSの「世界中の誰よりきっと」にかけてのあたりが一般的にビーイングブームの始まりと言えよう。
 ビーイングブームに向けて、そしてビーイングブーム序盤を迎え、92年はどのような作品が売れたのか詳しく見ていく。


1992年の年間ランキング

 まずは、92年のシングルとアルバムの年間ランキングをそれぞれ示す。

92年の年間シングルTOP100
順位 シングル名 アーティスト名 年間売上(万) 発売年月日
3位 BLOWIN'/TIME B'z 168.0 92/5/27
11位 ZERO B'z 101.1 92/10/7
15位 いつまでも変わらぬ愛を 織田哲郎 92.9 92/3/25
20位 DA・KA・RA 大黒摩季 76.5 92/9/23
23位 ガラスのメモリーズ TUBE 65.6 92/7/1
24位 夏だね TUBE 65.0 92/5/1
28位 また逢える… KIX-S 61.2 92/7/21
36位 じれったい愛 T-BOLAN 52.4 92/9/22
37位 世界中の誰よりきっと 中山美穂&WANDS 50.7 92/10/28
42位 離したくはない T-BOLAN 46.1 91/12/18
43位 眠れない夜を抱いて ZARD 45.5 92/8/5
56位 ALONE B'z 35.7 91/10/30
59位 もっと強く抱きしめたなら WAMDS 34.7 92/7/1
65位 IN MY ARMS TONIGHT ZARD 31.2 92/9/9
88位 BOMBER GIRL 近藤房之助&織田哲郎 22.6 92/1/12
94位 サヨナラから始めよう T-BOLAN 21.6 92/5/27
98位 #1090~Thousand Dreams 松本孝弘 20.8 92/3/18

92年の年間アルバムTOP100
順位 アルバム名 アーティスト名 年間売上(万) 発売年月日
2位 IN THE LIFE B'z 216.4 91/11/27
6位 RUN B'z 163.0 92/10/28
26位 HOLD ME ZARD 53.6 92/9/2
31位 納涼 TUBE 47.2 92/6/13
32位 BABY BLUE T-BOLAN 45.3 92/4/22
36位 SO BAD T-BOLAN 43.3 92/11/11
43位 夏の終わりに~Acostic Version~ T-BOLAN 37.4 92/9/22
45位 T-BOLAN T-BOLAN 36.7 91/11/21
50位 RISKY B'z 32.9 90/11/7
58位 Smile TUBE 29.8 92/4/15
59位 MARS B'z 29.6 91/5/29
70位 納涼(初回盤) TUBE 26.2 92/6/10
78位 B'z TV Style SONGLESS VERSION B'z 23.9 92/2/19
85位 ENDLESS DREAM 織田哲郎 21.8 92/6/24
87位 BAD COMMUNICATION B'z 21.5 89/10/21
90位 OFF THE ROCK B'z 20.4 89/5/21
94位 Wanna Go Home 松本孝弘 19.5 92/4/22


勢い止まらぬB'z

 91年に既に大ブレイクを果たしたB'zは、92年に入ってからもまだまだ新規ファンを獲得し続け、さらなる飛躍を遂げた。
 92年にリリースしたシングルは2作で、特に彼らのポップな曲の集大成と位置付けても遜色ないナンバー「BLOWIN'」は年間3位に入る大ヒット曲となった。
 一方、ノンタイアップでしかもよりハードロックにという挑戦的なシングル「ZERO」も初動60万を越え、年間11位にランクイン(集計期間の関係で100万枚止まり)。 「ZERO」がもしあまり売れなかったら、その後B'zは「BLOWIN'」までのキャッチーな路線を続けざるを得なかっただろう。そういう意味で、「ZERO」の大ヒットは、その後彼らがハードロックへ突き進むきっかけとなったに違いない。
 前回と同様に旧譜作品の売上推移を見てみると、さすがに前年に売れた旧譜作品は前年ほどは売れなかったが、ミニアルバム「BAD COMMUNICATION」やフルアルバム「OFF THE ROCK」は92年も87位と90位にそれぞれランクイン。
 MARS以降はロングヒット型から初動型に変化していったことが分かるが、それでも「IN THE LIFE」は2年以上チャートインし続けるなど、まだまだロングヒットの側面も持っていた。 発売から1年以上経ったフルアルバム「RISKY」や前年発売のミニアルバム「MARS」も当然のように万30枚前後売れ、アルバムの年間ランキングには、2年連続で計7作がランクインした。

 また、ソロ活動として、松本孝弘が”Mステのテーマソング”としてお馴染みの「#1090~Thousand Dreams」をリリース。約20万枚の売上で98位にランクインしている。さらに、本作を収録したアルバムも約20万枚売れ、94位以内にランクインしている。 シングル・アルバムそろっておよそ20万枚、ギリギリ100位圏内というなんとも形容しがたい記録を生み出している(笑)。
 なお、インストのシングル・アルバムがこれほど売れるのは実は結構快挙である。


冴えわたる春畑道哉


 TUBEはこの年も安定したセールスを見せ、リリースしたシングル2作「夏だね」「ガラスのメモリーズ」がなんとほぼ同じ売上枚数(65万枚)で、順位が並ぶ(23位と24位)というすさまじい安定ぶりを示した。 TUBEの初動売上はそこまで多くないものの、春から秋までの間は継続的に売れ続けるという特徴があり、シングルの登場週数も20~25週程度と比較的長めである。
 フルアルバム「納涼」は初回盤と通常盤で集計が分かれているため、少なく見えるが、合わせると70万枚に達し、実は年間18位相当である。
 またこの年、TUBEとしては初めてミニアルバムを制作。なぜミニアルバムを作成したのかは分からないが、B'zのミニアルバムの成功を見て、TUBEにもミニアルバムを作るようにとのお達しがあったのであろうか? ミニアルバムだから実験的な内容で哀愁の秋をテーマにしているとか、桜をテーマにしているとかでもなく、意外にもこの頃のTUBEの王道をいく楽曲が並んでいる。
 この頃の春畑道哉はメロディーメイカーとして冴えに冴え渡り、80年代にはプロデューサーにダメ出しばかりされていたというのが信じられないほど、キャッチーなメロディーを量産していく。 指折りの作曲家の多いビーイングの中で、本格的に楽曲提供も任されるまでに頭角を現し、ZARDに提供した「IN MY ARMS TONIGHT」は年間65位にランクインするヒットとなった。


織田哲郎が念願のチャート1位獲得!

 ビーイングのメイン作家であった織田哲郎が自身のシングルで初のチャート1位をついに獲得!提供曲は既に1位作品があったが、シンガーソングライターとしての織田哲郎の曲はお世辞にも売れているとは言いがたかった。
 しかし、デビュー13年目にして「いつまでも変わらぬ愛を」がポカリスエットのCMで脚光を浴び、発売から6週目にして5/11付のチャートで1位を獲得した。 実は、次週からこの年の年間ランキング1位の米米CLUBの「君がいるだけで」が3週連続1位を記録しており、あと1週上昇してくるのが遅かったら、1位は取れなかっただろう。
 自身の作品が1位を獲得して90万枚以上売れたことで、「作曲家としては売れているけど、シンガーとしてはあんまり…」というような難癖をつけられることもなくなり、織田哲郎自身とても気が楽になったのではないだろうか。というわけで、たった1週の1位だったが、それでもシンガー織田哲郎にとっては非常に大きな1週であったに違いない。

ポカリスエット特集はこちら↓
名曲・名CMの宝庫 ポカリスエット


T-BOLANがブレイク!

 T-BOLANがZARDやWANDSより一足早くブレイクした。ブレイクに伴い年間ランキングにはシングルは3作、アルバムは4作が100位圏内にランクイン。

 ブレイク作「じれったい愛」は9月の下旬発売にも関わらず50万枚を売上げ、36位にランクインした。注目を集めるきっかけとなった「離したくはない」は最高位15位ながらじわじわと売れ続け、46.1万枚で年間42位にランクイン。 織田哲郎からの提供曲「サヨナラから始めよう」もギリギリ94位にランクインした。
 アルバムは4作が100位以内にランクイン。どれも35~45万枚とほぼ同じような売上枚数であったことが見てとれる。しかも「離したくはない」とほぼ同じ数である。ということは、A面:「離したくはない」、B面:「Heart of Gold」という”名盤”の2ndシングルを買ったリスナーが心をわしづかみにされて、アルバムも買ったのだろうかと推測したくなる。 まあ偶然なのだろうが…(一方でシングルはブレブレ…)
 また、11月発売の「SO BAD」はブレイク後の作品のため、前作の「BABY BLUE」に比べて4倍近い初動を叩き出している。

 B'zと違って、デビューからブレイクまでが1年あまりとスピード感のあるブレイク劇だった上に、2ndシングル「離したくはない」がじわじわと売れ続けていた。よって、どちらかというと、旧譜作品が売れたというよりかは、新作が長い時間をかけてじわじわと売れたという表現の方がふさわしいであろう。


ZARDはプチブレイク!

 91年2月のデビューシングル「Good-bye My Loneliness」以来、1年半もの間、"一発屋状態"に終わっていたZARDが、4thシングル「眠れない夜を抱いて」でプチブレイクを果たした。

 デビュー以来、メディアへの出演を最小限に抑えていたが、本作及び3rdアルバム「HOLD ME」のリリースにあたっては、テレビ出演などの積極的なプロモーション活動を展開。Mステには「眠れない夜を抱いて」だけで3回も出演した。 積極的なプロモーション活動が功を奏し、「眠れない夜を抱いて」は45.5万枚で43位、「IN MY ARMS TONIGHT」は31.2万枚で65位にランクインした。

 一方、「HOLD ME」も初登場2位という絶好のスタートダッシュを見せ、本作より連続ミリオン記録が始まる。しかも、驚くことに、この年のビーイング系だけで言えば、B'zの上位2作、TUBEのフルアルバムに続く4番目の売上枚数を記録している。


WANDSもプチブレイク!

 WANDSもZARDと同様に積極的なテレビ出演の効果と中山美穂とのコラボもあって、3rdシングル「もっと強く抱きしめたなら」は11/22までの時点で最高位15位ながらも30万枚以上の売上を記録した。 しかし、92年の年間ランキングには本格的なブレイクの直前までしか含まれていない。それ故、旧譜作品は一切ランクインせず、T-BOLANとは対照的にアルバムも100位圏内はゼロであった。
 また中山美穂&WANDS名義の「世界中の誰よりきっと」は発売3週間で50.7万枚、37位を記録している。やはり圧倒的な中山美穂の知名度はセールスに与える影響も絶大であった模様である。

WANDSのブレイク劇について詳しくはこちら↓ 1. WANDSはなぜ一躍人気になりながらも凋落していったのか 前編


大黒摩季・KIX-Sが急浮上


 5月のデビューシングル「STOP MOTION」はテレビドラマのタイアップという好条件ながらもセールスが2万枚にも満たなかった大黒摩季は、起死回生の2ndシングルでなんといきなりのミリオンヒットを記録した。 92年集計分には75万枚ほどしか反映されていないが、テレビ出演もすることなしにミリオンに到達してしまうのである。
 この予期せぬ大ヒットには誰しもが驚いたことだろう。まさに長戸大幸のプロモーション術が本領を発揮したと言えよう。
 また、前年にデビューして以来、アルバムのみのリリースであったKIX-Sも、1stシングル「また逢える…」がフジテレビ系月9ドラマ「君のためにできること」の挿入歌に採用され、いきなりの60万枚を超えるヒットで、年間28位にランクインし、大黒摩季と同様に急浮上を見せた。


ランキングから姿を消した”コミックバンド”

 90~91年にかけてヒットチャートを賑わせたコミックバンド”B.B.クィーンズ”とそのコーラス隊から派生した”Mi-ke”は92年の年間TOP100には一作も入らず。完全にブームが終わってしまった。
 Mi-keに関しては過去の人となったというのは言い過ぎだと思うが、そもそもオマージュやカバーばかりの企画ユニットで、がっつり固定ファンをつかむような売り方でもなかったので当然と言えば当然と言える。
 91年の末には、歌詞が作詞ではなく、過去の楽曲のタイトルを組み合わせた”順列組み合わせ”というおもしろい詞のはめ方をしたシングルをリリースしているなど、内容としては充実の1年であった。また、前年ほどは売れていないのは確かだが、どのシングルも10万枚前後を安定して売り上げており、全くセールスがふるわなかったわけではない。

 B.B.クィーンズのメンバーである近藤房之助は、織田哲郎とのコラボシングル「BOMBIR GIRL」で年間88位にランクインしている。92~93年は、ビーイング系のコラボシングルが多かった。ちなみにこの曲はカルビー「ポテトチップス」のCMソングに起用された。


ビーイングブームの予兆

 7月あたりから、WANDS、KIX-S、ZARD、T-BOLAN、大黒摩季とロングヒットになって注目を集めるようなシングルのリリースが続いていたことはビーイングブームの予兆を感じさせる。

 91年にすでにブレイクして不動の地位を築いていたB'z、89~91年に長い時間をかけてうまく自作体制に移行でき、夏バンドとしての地位を確立したTUBE、自作曲で一足早くブレイクしたT-BOLAN、積極的なテレビ出演でプチブレイクしたZARD、中山美穂とのコラボで話題を呼んだWANDSと、それぞれにそれぞれの経緯をたどりながら、チャートの上位を独占する役者が揃ったのである。 そして、今挙げたアーティスト以外のアーティストもヒットをちらほら出し始め、ビーイングのサウンドとプロモーションが徐々に浸透、支持されつつあったことがよく分かった。


 次回は、”ビーイングブームそのもの”である93年を特集する。


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