WANDSはなぜ一躍人気になりながらも凋落していったのか 前編
ビーイングブームの象徴的存在と言えば、WANDSとZARDである。そのWANDSがなぜ一躍トップスターになれたのか、そして、なぜ一気に人気が凋落したのかを考察していく。今回は前編として一躍人気になった理由について考察する。
ビーイングブームについて詳しくはこちら↓ 2. ビーイングブーム徹底解析その1 ~週間シングルチャートで見るビーイングブーム~
なぜビーイングブームの象徴的存在がWANDSとZARDなのかについては詳しくはこちら↓ 13. ビーイングブーム徹底解析その12 ~なぜZARDとWANDSがビーイングブームの象徴と言えるのか?~
アイドル的な人気
WANDSの人気は端的に言えば、アイドル的な人気であった。売り方や楽曲がアイドル的であったわけではない。 ロックバンド(厳密に言えば、バンドというよりユニット)であったわけだが、どこかアイドル的な人気を得ることによって一世を風靡するまでになった。93年のビーイングブーム当時の勢いはB'zに比肩し得るほどのものがあった。 B'zの稲葉浩志も女子たちからキャーキャー言われていたのと同様にWANDSの上杉昇もキャーキャー言われていた。そういう意味ではどちらもアイドル的な人気もあったわけである。 しかし、WANDSはアイドル的な人気で終わった一方で、B'zの人気は凋落しなかった。その"違い"は何だったのだろうか。
WANDSが人気を博した理由
WANDSが人気になった理由は、以下の3つが主要因として考えられる。- 上杉昇、柴崎浩がイケメンだった。
- 中山美穂とのコラボで、「あの中山美穂のバックボーカルは誰?」となり世間の関心が集まった。
- ビーイングど真ん中の爽やかでキャッチーなメロディーと詩人上杉の歌詞の化学反応で素晴らしい作品が生まれた。
ルックス◎ |
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中山美穂&WANDS「世界中の誰よりきっと」
WANDSが爆発的に人気を得た最大の要因は、2.の中山美穂とのコラボである。実際、WANDSは、3rdシングル「もっと強く抱きしめたなら」を発売してからかなり積極的に音楽番組に出演していたが、一向に注目されなかった。 それを示すために、売上と順位を図にまとめてみた。
↑グラフや凡例をクリックすると具体的な値を見ることができます。
Mステへの出演は9/18(12週目),10/30(18週目),1/8(27週目)の計3回である(「もっと強く抱きしめたなら」の歌唱のみカウント)。ちなみに、「世界中の誰よりきっと」は18週目に発売されている。
まず、週間ランキングの順位(グラフの赤線)を見てみると、3段階にわたって大きく上昇していることが分かる。1段階目は1~3週目にかけて、2段階目は12~16週目にかけて、3段階目は19週目~24週目にかけてである。
1段階目は、この頃は知名度もかなり低く、耳にするとしたらタイアップのCMくらいなので、三井生命のCMで流れているのを聞いた人が買ったものだと思われる。
三井生命CM 「もっと強く抱きしめたなら」
2段階目は明らかにMステへの出演効果である。12週目に初めてMステに出演したことが十分宣伝効果を生み、ランキングも35位から15位まで一気に上昇した。週間売上は12週目の0.9万枚から15週目の2.8万枚まで上昇している。
3段階目は、2回目のMステへの出演による歌唱もあると思うが、それよりも中山美穂とのコラボシングルの発売が最も大きな要因であると考えられる。中山美穂はもちろんこの頃には絶大な知名度があり、初登場で2位を記録している。 そこで、中山美穂の「あの中山美穂の後ろで歌っているのは誰?」と世間の関心が集まり、「もっと強く抱きしめたなら」もチャートを急上昇したと考えられる。
話題を呼んだコラボシングル
93/1/8の”Mステ神回”では、生島ヒロシが「Mステ出演後、時間差で上昇した」と言っていたが、売上枚数で見ると、
・2回目のMステ出演かつコラボシングル発売(18週目)→翌週(19週目):横ばい
・翌週(19週目)→翌々週(20週目)以降:一気に上昇
となっており、別に一回がっくんと売上が下がったわけではない。 ただ新譜の発売が多かったために(この週は上位20位以内に6作)、売上枚数は横ばいでも順位が下がったものと考えられる。
続いて、1週間あたりの売上(速度)と売上の加速度をプロットしてみた。青線は先程のグラフの青棒と同じである。
Mステに出演した12,18,27週目の翌週は必ず加速度が正の値になっており、Mステへの出演が売上の起爆剤になったことが読み取れる。 また、18週目から24週目にかけては加速度も長く上昇傾向にあり、この時期に一気に世間からの関心が集まったことが分かる。
さらに、3rdシングル「もっと強く君を抱きしめたなら」と中山美穂&WANDSの「世界中の誰よりきっと」のチャートアクションを比べてみる。(26・27週は年末のため二週間の合算記録)
「世界中の誰よりきっと」は11週連続で12万枚前後を売り上げた。11週ということは約3か月にわたり同じ水準で売れ続けたのである。結構異常な売れ方である。 稲垣潤一の「クリスマスキャロルの頃には」や同門であるT-BOLANの「Bye For Now」がヒットしていたため、それらが落ちてくるのを待ってから1位を獲得している。 継続的に「世界中の誰よりきっと」が売れ続け、次第にますますWANDSへの注目が集まっていき、93年の年明け(28週目)に追いついてから、2月以降は一緒に落ちていった。
チャートアクション的には両者は年明け以降しか連動しているようには見えないが、先程のグラフの18週目から28週目あたりまでの加速度の大きい期間がちょうど「世界中の誰よりきっと」のロングヒットしていた期間と一致し、「もっと強く抱きしめたなら」のロングヒットに繋がるという"ロングヒットのスパイラル"を形成していたと言えよう。
キャッチ―なメロディーと上杉の詩
多々納好夫は「もっと強く抱きしめたなら」以外にメガヒットはないが、この曲は確かにキャッチーなメロディーであるし、「世界中の誰よりきっと」は、屈指のメロディーメイカー織田哲郎の最大のヒット曲である。 そんな良曲に恵まれた結果、爆発的なヒットに繋がったと考えられる。そして、上杉昇の書く詩も素晴らしかった。上杉の詩には時の普遍性と人を愛する様を歌った歌詞が多い。彼の詩については今後別の回にて詳しく掘り下げようと思う。
今回はWANDSが人気になった理由について考察した。次回は、人気が急落した理由を考察する。
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