WANDSはなぜ一躍人気になりながらも凋落していったのか 後編

 WANDSがなぜ一躍トップスターになれたのか、そして、なぜ一気に人気が凋落したのかを考察していく。前回の前編に続いて、後編として人気が急落していった理由について考察する。

前編はこちら↓



WANDSの人気が凋落した理由

WANDSの人気が凋落した理由は、以下の3つが主要因として考えられる。
  1. 二段階に減少したアーティストパワー
  2. 伸び悩んだ固定ファン
  3. 楽曲のクオリティ


二段階に減少したアーティストパワー

 ここでは、前回、名前を出したB'z,ZARD及び、ビーイングブーム後、WANDSのライトなファン層を食っていったであろうMr.Childrenで売上を比べてみる。WANDSが最後の打ち上げ花火のように「世界が終るまでは…」を発売したのとほぼ同時にミスチルが「innocent world」を発売した。 直接的な因果関係はないかもしれないが、WANDSの最盛期が終わると同時に、ミスチルの全盛期が始まった。94年の夏は、ビーイング系からミスチルやtrfを始めとする小室ファミリーに話題の関心が移った時期として印象深い。(96年頃まではビーイング系の活躍は続くが)
 まず、シングルの売上のグラフを示す。ビーイング系は自身最大のヒット曲以降、ミスチルは「innocent world」以降で、表示しているのは99年までである。指数関数的に減っているのが分かる。

 これでは少し分かりにくいので、縦軸を対数にした片対数グラフを用い、近似直線を求めると次のグラフのようになる。
 確かに、ミリオンヒットを連発していたが、WANDSは他のアーティストよりもはるかに早いスピードで人気が落ちていったことが分かる。
 95年2月発売のSecret Night~It's My Treat~以前を第1段階(オレンジ色)、それ以降を第二段階(紫色)とすると、特に第二段階の下がり方はすさまじい。 仮に、「世界が終るまでは」までの路線で続けていたとしたら(オレンジ色の直線)、ZARDやMr.Childrenよりやや低いくらいの水準で売れていたので、CDの総売上も10位代にはランクインできていたかもしれない。 とは言っても、この4組の中では第一段階でさえ下がり方が最も大きいが、第二段階に入ると、それまでが比にならないほどの勢いで下降している。これは”音楽性の変化”、具体的に言えばオルタナティブロックへの傾倒が原因であると考えられる。
 さらに、アルバムの売上もグラフにしてみる。これもビーイング勢は1993年以降、ミスチルは1994年以降の3作を比較対象としている。
 後述するように、コアなファンの数はZARDと変わらないが、ZARDはアルバムが非常に安定しており、WANDSはアルバムの売れ行きではZARDに惨敗している。(ただ、B'zの3作目とWANDSの2作目はミニアルバムであるためフルアルバムよりは売れ行きは良くないことやB'zの1作目は2枚組であることに留意する必要がある。)


コアなファン(=固定ファン)とライトなファン

 アーティストがファンに支えられているのは言うまでもないが、ファンはライトなファンとコアなファンに大別される。
 ライトなファンと言っても、ベストアルバムくらいしか買わない層から、アルバムなら買う層、シングルもたまになら買う層など、その程度は様々である。 一方で、アルバムを買うほど聞きたいわけではないけど、お試しにシングルを買ってみようという人もいるので、必ずしもシングルを買う人がコアなファンというわけでもない。 ライトな層というのは、話題性や新鮮味に欠けるようになると、また違うアーティストに関心が移ってしまう可能性の高い層である。 ここでは、"コアなファンの数"="初動枚数"と考えて固定ファンの推移を見てみる。

 直感的な偏見であるかもしれないが、男のほうが、1度ハマるとドハマりするが、女のほうが目移りしやすいように感じる。そのライトな女子たちから圧倒的な支持を集めてしまったが故に、もろく崩れやすい人気しか獲得し得なかったのではないだろうか。


伸び悩んだ固定ファン

 シングルの初動枚数をグラフにまとめてみる。対象範囲は1つ目のグラフと同じである。
 初動に関しては、WANDSの全盛期が終わってからブームになったミスチルやB'zに大きく差をつけられており、あれほどの勢いがあったにも関わらず、固定ファンの数で言えば、ZARDと同じ水準であった。くっきりと上位グループと下位グループに分かれているのが分かる。 ボーダーラインは40万枚あたりであろうか。
 ミリオンヒットを飛ばしていた頃は初動がだいたい20~25万程度で、そこから伸び悩んだことが分かる。(これはZARDにも言えることであるが…)


楽曲のクオリティー

 ここからは主観の話になるが、WANDSの楽曲はクオリティーがまちまちだったと思う。 というのも、「時の扉」なんかは前作と中山美穂とのコラボで注目が集まっている中発売されたので売れたが、実際そこまで良いメロディーかと言われるとそうでもない…。 サビは確かにキャッチ―だが、いまひとつ何かが足りないような気がする。
 「恋せよ乙女」は「時の扉」の二番煎じ感たっぷりであるし、半年のうちに二番煎じ感のある曲を出してしまったのは、もうネタ切れという印象を与えてしまうという意味で失敗と言わざるを得ない。(2週連続1位を取っているので会社的には成功なのかもしれないが…)
 作家の提供を受けたシングル曲に比べて、柴崎の作曲能力もまだまだだったため、アルバム曲がそこまで良くなかったのも(もちろん良い曲もあるが)、ZARDと同程度の固定ファンを抱えながら、ZARDに比べてアルバムの売上が低迷した要因の1つかもしれない。


 ということで、二回にわたってWANDSの栄枯盛衰を振り返ってきた。
巷では、よく「全盛期のWANDSはB'zと同じくらい人気があったのに…」という意見も聞かれるが、こうやって見てみると、確かに勢いはB'z並にあったのだろうが、地に足のついた人気というのはB'zには到底及ばなかったということが分かった。

 本記事を読んで、WANDSの全盛期は一瞬であったことが分かってもらえたと思うが、それでも約5年間で1700万枚くらいの売上を誇り、今でも「世界が終わるまでは…」は世界中で歌われている。そういう意味では、記録にも記憶にも残る"ロック"バンドであることは間違いない。


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