ビーイング系の特徴

ビーイング系の大きな特徴、それは、 にある。
本記事では、1つ目のタイアップについて取り上げる。次回、作家陣による分業について語る。

音楽番組出演よりもタイアップ

 ビーイング系の主要な特徴の1つとして、タイアップの活用が挙げられる。 ドラマやCM、アニメのタイアップとして、曲を起用してもらい、本人が音楽番組に出演せずとも、広告効果が期待できるというものである。 特にアニメタイアップを効果的に用いて、売上に繋げる手法は、ビーイングが初めて成功させた(ちびまる子ちゃん)。 中には、同一のシリーズで数年にわたって、ビーイング系のアーティストのみが独占的にタイアップに起用されることもあった。
例)大塚製薬のポカリスエット(91~96)、関西テレビ(フジ系列)の月曜22:00枠ドラマ(91~94)、テレビ朝日系アニメのスラムダンク(93~96)、テレビ朝日系パリ・ダカールラリー(91~93,95)など

ポカリスエット 関西テレビ系ドラマ
”ウーマンドリーム”
スラムダンク パリ・ダカールラリー

 これは創業者の長戸大幸が、1日を拘束されるわりに10分以下の出演時間しか与えられない音楽番組よりも、タイアップで楽曲を発信する方が、訴求力の効果が高いという考えをもっていたためである。 また、露出を減らす方がカリスマ性や神秘性を高められるという意味合いもあった。 当時、ビーイングのメインアレンジャーであった明石昌夫が、「長戸さんは常識を覆す人。みんなと違うことをする人だった。」と述べており、長戸氏の指針だったようである。

 しかしながら、タイアップを爆発的な売上につなげるという意味では確かにビーイングの特徴であったが、
"ビーイング系=テレビに出ない"
というイメージがつくほど、メディア出演が全くなかったわけではない。
テレビ番組への露出は、以下の3タイプに分類できる

①比較的、積極的に出演する
②ブレイクするまでは積極的に出演するが、ブレイク以降は露出を抑える
③全く出ない


積極的に出演していたアーティストたち

 ①にあてはまるのは、意外と多く、B'z、TUBE、T-BOLAN、FIELD OF VIEW(FOV)、Mi-Ke、MANISH、PAMELAH、B.B.クイーンズ、KIX-Sが挙げられる。 90年代は、ベストテンが終了するなど、80年代から続く音楽番組が終わったことから、必然的にMステ、CDTV、ミュージックフェアーの3番組が主となった。 中でも、ビーイングはテレビ朝日と良好な関係を築いており(謎の癒着)、Mステへの出演が多かった。各アーティストの傾向を見てみると、
 B'zはほとんど全てのシングル発売時にテレビ出演をしていた唯一のアーティストであった。 T-BOLANは、比較的テレビ出演もライブも積極的に行っていたが、ボーカルの森友嵐士が心因性発声障害に陥ってからは、音楽番組に出ることが困難になったため、メディアへの露出が減少してしまった。
ミュージックフェアーへも積極的に出演していたのがTUBEである。 Mi-Keなんかは1枚のシングルのリリースに対して3回以上音楽番組に出演していたこともあったが、ビーイング唯一の"アイドル"であったことを考えれば当然と言えば当然と言える。
その他、織田哲郎や川島だりあといった作家陣も、それほど出演数は多くないが、シンガーとして出演していた。


ブレイク以後、露出を抑えていたアーティストたち

 ②にあてはまるのは、ビーイング系の代表格である、ZARD、WANDSである。
 彼らは、92年夏~93年春までの間、集中的に音楽番組に出演していた。 特に、Mステへの出演が多く、ZARDは4thシングル「眠れない夜を抱いて」だけで3度、WANDSも3rdシングル「もっと強く抱きしめたなら」だけで3度出演しており、 いかにビーイングが積極的にこの二組をプロモーションしていたが分かる。 ZARDは6thシングル「負けないで」、WANDSは、4thシングル「時の扉」をそれぞれ93年の2月と3月にMステで歌ったのが最後になった。


全くメディア出演のなかったアーティストたち

 ③にあてはまるのは、大黒摩季、DEENといったアーティストである。
 大黒摩季は、97年のレインボースクエア有明特設ステージで行われた初のソロライブまで大黒摩季としてテレビに出演したことがなかったどころか(ライブの様子がMステで中継された)、ファンの前で顔を出したことすらなかったため、 大黒摩季は本当は3人いるとか、本当は5人いるとも噂された。5人って、作詞、作曲、歌唱、ジャケ写...以外に何があったのだろうか? 当の大黒摩季は、「作詞、作曲、レコーディングで忙しく、テレビに出ている暇がなかった。大黒摩季は複数人いるという都市伝説すらできてきた頃になると、余計に顔出ししにくくなった。」と後に述べている。
ちなみに、実は92年5月に、ミュージックフェアでB'z、B.B.クイーンズと共演していた。B'zの「BLOWIN'」の発売の宣伝であったのだが、他にも「KNOCKIN' ON HEAVEN'S DOOR」のカバーと「Easy Come, Easy Go!」をB'z,坪倉・近藤,大黒の3組で披露していた。 ちょうど92年の5月に大黒摩季がデビューしており、大黒摩季のデビューを宣伝するには絶好の機会であったにも関わらず、大黒摩季は名前の紹介さえなかったらしい。


 DEENは、93年3月のデビュー以来、2年あまりにわたり、メディアへの露出がなかった。 その間、2作のミリオンヒットシングル(1stシングル「このまま君だけを奪い去りたい」、5thシングル「瞳そらさないで」)と、1作のミリオンヒットアルバム(1stアルバム「DEEN」)を送り出した。 95年6月の7thシングル「未来のために」で、ついにテレビ初出演(Mステ)を果たした。 このタイミングでテレビ初出演を果たしたのは、デビュー以来初めてシングルA面を自作曲で出すことができたからであると思われる。 しかしながら、メディアに出ず、楽曲のみでの勝負のほうが良かったのか、メディア露出前に全盛期を迎え、その後の売上は下がる一方であった。


 必ずしもビーイング系だからといって、テレビ出演がなかったわけではなかったが、 ビーイングの売上トップ5である、B'z、ZARD、WANDS、T-BOLAN、大黒摩季のうち、3組が全盛期にメディア出演をほぼしていなかった。このことが、そういったイメージをつくる決定打になったのかもしれない。


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