ビーイングブーム徹底解析 その8

~作家で見るビーイングブーム 栗林誠一郎編~

 前回の織田哲郎編に引き続いて、今回は栗林誠一郎編をお送りする。

 栗林誠一郎の画像


93年の栗林誠一郎

 ビーイングブーム時、栗林誠一郎自身がちょうど、B.B.クィーンズの活動を終え、ZYYGというバンドを結成するなど、自身が忙しかったこともあったからか、織田哲郎ほど提供したわけではないが、それでも織田哲郎に次ぐメイン作家として、作編曲において活躍した。
 93年の栗林誠一郎の作曲作品のセールスを列挙する。なお、93年の集計対象期間は92/11/23~93/11/21(92/12/7付~93/11/29付)である。

発売日 曲名 アーティスト名 売上(万)
93/4/21 君がいない ZARD 80.2
93/5/12 Please Please Me, LOVE Mi-Ke 12.3
93/9/4 もう少し あと少し… ZARD 84.4
93/11/10 風にまぶしい ZYYG ※10.7
93/11/17 Jumpin' Jack Boy/White Memories WANDS 28.6
93/11/17 きっとふたり会えてよかった 柳原愛子 ※0.7
216.9
 ※印は正確な値が分からなかったので推計値。

 織田哲郎がすごすぎたためか、93年の集計対象期間中には、栗林誠一郎は意外にも6作しかシングルA面を担当していない。(単純に93年というくくりで見れば、あと2作を担当している。) しかも、自身も参加したZYYGのデビューシングルの「君が欲しくてたまらない」ですら織田哲郎の提供曲で、自身は編曲だけで関わっている。ビーイングのメイン作曲家の1人でありながら、他人の提供曲でデビューするというのは、どういう心境であったのであろうか?それはそれと割り切っていたのだろうか。気になるところである。
 しかし、以前からどうしても長戸社長がヒットさせたいと思っていた「君がいない」が大ヒットし、最初の発表から2年余りの時を経て、ようやく日の目を見るという嬉しい出来事もあった。(「君がいない」は91年2月発売の栗林誠一郎のソロアルバムに収録されているが、アルバム自体がほとんど売れなかった。)
 T-BOLANや大黒摩季の例からも分かるように、自作曲でヒットすると、次のシングルは織田哲郎の提供曲にするというのが、長戸氏の方針だったようだが、ZARDはそもそも織田哲郎の曲で大ブレイクしたため、ZARDとしての音楽の幅を広げるためにも、栗林誠一郎の提供曲を大ヒットシングルの次に持ってきたようである。


実は栗林誠一郎はこの年3番手

 見出しの通り、栗林誠一郎はビーイングの裏方の作曲家の中で、実はこの年、3番手の作曲家であった。では、誰が織田哲郎と栗林誠一郎の間にいたのか?
 その人物とは、WANDSから脱退した大島康祐である。そう、あの真四角な髪型の彼である!自身はWANDSを離れたものの、置き土産として置いていった曲がWANDSのブレイクで大ヒットし、栗林誠一郎を上回った。
WANDS
↑この粗い画質でも分かる頭の四角さが彼の最大の特徴(笑)

 大島康祐はこの年、2作しか楽曲提供を行っていない。自身が女性二人と結成した3人グループ”SO-FI”のシングル2作はほぼ売れなかったので、実質的にWANDSに提供した2作だけで栗林誠一郎を上回っているのである。 「時の扉」が144.3万枚、「恋せよ乙女」が81.9万枚で、計226.2万枚(+SO-FIの作品が1.1+4.4=5.5万枚+前年発売のWANDSのシングル「ふりむいて抱きしめて」の1.6万枚)で、233.3万枚でこの年の年間売上ランキング作曲家部門で第6位にランクインしている。一方、栗林誠一郎は先述の通り約217万枚で第8位であった。


 次回からは、編曲家を特集する。1人目は明石昌夫を取り上げる。こうご期待。


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