ビーイングらしいけど、ビーイングらしくないバンドT-BOLAN

 今回はT-BOLANの略歴を振り返りながら、T-BOLANの特徴を見ていく。

T-BOLANとは

 T-BOLANは、東海大学に在籍していた森友嵐士(ボーカル)と青木和義(ドラム)を中心に、五味孝氏(ギター)、上野博文(ベース)の4人で結成されたロックバンドである。 ビーイングが主催するオーディション、BAD(Being Artist Develmpment)オーディション(第2回)の出身である。

T-BOLAN
森友嵐士、青木和義
上野博文、五味孝氏


ビーイング系らしいデビュー

 88年にビーイングのインディーズレーベルからデビューし、小さなライブを年間数100本行っていた。その時期にデビュー前の稲葉浩志が、ゲストボーカルとして出演し、20回以上セッションをしている。

 またデビューまでのこの時期にビーイング作曲家陣から手ほどきを受け、作曲を学んだようである。(現ZARDのディレクター寺尾広によると長戸大幸Pに作曲を学んだということになっているが、長戸自身は残念ながら作曲の才能がなかったので、本当に長戸自身から教わったのかは疑念が残る…)

 しかし、デビューシングル「悲しみが痛いよ」は結局、川島だりあの提供曲というなんとも"ビーイングらしい"デビューとなった。


初のヒット曲とブレイクまでの低迷

 T-BOLANにとって初のヒット曲は2ndシングル「離したくはない」であったが、この曲の作詞作曲は森友嵐士であり、提供曲ではなかった。 この曲は関西テレビドラマ「ホテルウーマン」の挿入歌として使われ、有線などで人気に火がついた。



 ヒット曲の次のシングルの出来がその後の人気を司るため、ヒット曲の次のシングルは冒険をせず織田哲郎に任せるのが長戸大幸というプロデューサーである。
 この時も例外ではなく、3rd,4thシングルともに織田哲郎の提供曲が続くが、織田哲郎の曲はT-BOLANにははまらなかったのかあまりヒットはしなかった。 つまり、ビーイング系なのに織田哲郎の提供曲で売れたわけではないということだ。このあたりがT-BOLANの"ビーイング系らしくない"点である。


  3rdシングル「JUST ILLUSION」


本格的なブレイク

 5thシングル「じれったい愛」がオリコン最高位2位にランクインし、本格的なブレイクを果たす。またこの曲も自作曲であった。



 これ以降は、8thシングル「すれ違いの純情」が織田哲郎の提供で、3rd,4thシングルと違いしっかりヒットしたのを除くと、自作曲のみに変わっていった。 織田哲郎の曲よりも、自作曲のほうが森友の声と相性が良かったのだろう。


望まない形での解散

 ビーイング系アーティストは、プロデューサー主導で結成されたバンドが多いため、金銭的あるいは音楽的な問題や権利関係の問題のために、解散したり、メンバーが入れ替わったりするバンドが多かった。 一方で、T-BOLANはプロデューサー主導でないバンドであったことから、特にそういった問題が生じて解散に至ったわけではない。 94年以降に森友が心因性発声障害を患ったために、新曲が発表できないばかりかライブもできなくなってしまった。それ故、99年にメンバーが望まない形での解散に至った。
 しかし、2017年にオリジナルメンバーでの復活を果たした。WANDSやFIELD OF VIEWがオリジナルメンバーでの復活とはならなかったのとは対照的である。 T-BOLANが一度もメンバーの入れ替えもなくこれたのは、やはり根っこからの仲間だからという気がする。


ライブを数多くこなしたバンド

 90年代当時のビーイング系で、あれほどライブをこなしたのは、B'zとT-BOLANくらいであろう。その点でも"ビーイング系らしくない"一面を持っていたと言える。 創業者の長戸大幸は、他の人とは違うことをしたがる人だったので、「ライブをしなくても売れるならそれで良いではないか」という考え方の持ち主であった。 それ故、ライブをやらないアーティストが多かったが、T-BOLANは自らライブをやりたいと言ったからやっていたのではないかとのこと(明石昌夫談)である。


 今回は、T-BOLANには、ビーイング系らしくないところが結構あるよという紹介をした。 しかし、タイアップ戦略やサウンドはもろビーイング系なので、核となる部分はやはりビーイング系であるのは当然である。


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